地獄編

アートと本(というか言葉)と服が好きです

読書とは、メモ

1、自分には知識が無いから上手くいかないのだという現実の不安を埋める為に読書量に価値を置く読書

 

2、より悲惨な生き方をしている人の物語を追体験することにより、共感を得ているフリをして優越感に浸る読書

 

3、こんなはずじゃなかった、という人生を歩んでいるばっかりに、簡単に他の人生が体験出来る幻想としての読書

臣女

読みました。

 

その前に読んでいた百田尚樹の『影法師』が個人的にオモシロすぎて、正直『臣女』の前半はあまり入ってこなかったものの、後半の目まぐるしい展開には思わず息を呑み、どんどんと読み進められました。

 

ですが、やっぱり後味の悪さは拭えず、苦手な部類かも、と思いました。

物語の本質はそこじゃないよって話かもしれないけれど、オチにはどうしても納得いきません。

 

主人公の近隣に住む老人や主人公が結構なクズです。けど、それは現実世界の我々の醜さをうまく表現しているような気がします。

主人公と敵対する中林という男が、最後に主人公を罵倒する言葉には、自分のことを言われているようで、思わずドキッとしてしまいました。

つぐみ

吉本ばななの『TUGUMI』。

 

まだ読み途中だけど思ったこと。

自分は最近、死の直前の命の煌めきのようなものの恍惚に囚われていて、気がづけば命が途絶える瞬間のことばかりを考えている。

自分の中でそれは、「命が燃える」という単語になんとなくなっていたのだけれど、最近それに最も近しい表現が与えられた。

 

草間彌生著、『離人カーテンの囚人』の中の一節。

 

ーーー 生命の消失するときの燐光が降雪の中でスパークした。

 

これだ、と思った。自分の中でうまく言葉に出来なくてモヤモヤしていたものに名前が与えられた。

 

そして、吉本ばななの『TUGUMI』を読んでハッとしたことは、自分は今まで死ぬ「一瞬」にしか着目してこなかったということ。

物語の主人公つぐみは、病弱で、何年も生死の間を彷徨っている。その生き様は、儚くも、自ら生命を削るようにいつも強い温度で燃えている。

私はこんなんじゃ死なないと自分で納得したいがために敢えて体調を崩してしまいそうなことをする。

 

いままで考えてきたのは一瞬の火花のような、スパークする生命。

それに対してつぐみは青い炎のように静かだが強く、そしてゆらゆらと危うく燃える命。そんな命もあるのだということを気づかせてくれた。

音楽

ここ3日間、割と根を詰めて読書に向き合っていた気がする。

 

仕事のあと、電車でふと疲れを感じて本を閉じ、好きな音楽を流した時だった。

 

読書続きで、体の中に詰め込まれ、ふわふわと浮遊していた言葉たち、胃の中をのたうっていたり、沈殿していた言葉になりきれない感覚たちが一斉に呼び起こされ、全てが意味を与えられ掻き回された感じがして、なんだか最高に気持ちが良かった。

 

バチン!と言葉と自分と音楽とが繋がって電流が流れる、そんな感覚。

送り火

高橋弘希著『送り火』を読んだ。

 

薄く、短い本だけに読破に半日もいらないが、内容自体は非常に重厚感があり、読書中ずっと、口の中の異物を飲み込めないでいるような気持ち悪さが付き纏う。

 

というのも、作中人物の使う方言や、著者独特の言い回しが、物語に終始不気味な雰囲気を漂わせているからだ。

 

小さな火花ひとつで、大爆発が起きてしまいそうな緊張感。それが、自分にとってのこの本の魅力だ。

フィクション

僕はずっと、小説(フィクション)を毛嫌いしていました。

 

理由は、単純で、作り話だから。

ありもしない話に一喜一憂することなんて、無駄な時間に他ならないとどこかで強く信じていました。

 

でも、ぽつりぽつりと小説を読むようになって思ったことは、あえて嘘をつくことで語り得る本当のことがあるということ。

丁度、デパートや路上で見かける似顔絵師が描く似顔絵のように。

 

つまり、あえて誇張することでより分かりやすく現実の特徴を捉える。これは、フィクションだからこそなせる技でしょう。

 

いよいよまとまりが無くなってきました。

いつか、全部の日記をちゃんとした筋で書き換えたいなぁ。